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Posted by おてもやん at

人を信じるきっかけ

2010年06月16日

ある出来事がありました。

Aさんは特定の人にしか話していない「大切な事」がありました。
これから出てくるBさんとCさんは特定の人には入っていません。

Aさんの顔見知りのBさんは
Aさんの「大切な事」を何気なく、全く第三者のCさんに話したようです。
Bさんはそのことが「大切な事」だとは思っていなかったのかもしれません。

それを聞いたCさんはAさんに「大切な事」について質問をしてきました。
Cさんも「大切な事」だとは思っていなかったかもしれません。

Aさんは困惑しました。
一体なぜ、ほとんど初対面のCさんに「大切な事」を聞かれなければならなかったのか。
なぜ、Cさんは知っていたのか。誰から聞いたのか。
もしかしたら噂話になっているのではないか。

みなさん経験ありませんか。
私もあります。
小・中学校の私なら理由も聞かずに
「なんで言うとぉ?!!!」と問い詰めていたと思います。

私のよくあるパターンなら
すぐいじけて
(やっぱり私はこんな言われ方をして傷つくんだ)
疑問で
(どうして言うのだろう?言われたくないと分からないのかな)
淋しくなって
(どうせ誰も分かってくれないし、結局一人なんだな)
その場からサササーッと身を引きます。
(関わらなければ傷つかなくて澄むし、そんな見かたをされている中にいたって
気をつかうだけだし、やだやだ;)

ここから抜け出すために今
過去と向き合い、内に目を向けています。
これについては今度お話します。

【もしもシリーズ】
私がAさんの親だったら。と空想していました。
Aさんが「おかん、もういいよ。もう乗り越えたから大丈夫」って
逆に慰めてくれるくらいまで、とことん味方になります。
そして何の意味があって起こった出来事なのか。って。

相手が大切に思っていると聞かない限り分からないので
相手は悪く言いません。耐えどころ…(苦笑;)
誰が、何が良いか悪いかを話さないと
味方になってくれた暖かい気持ちになれないかも知れないけど。
相手に気持ちを向けずに
子どもの味方になる。
おかんのテク、なんですかね?

子どもが
それを大切だと思う気持ち
立ち直れると信じる気持ち
悩む子どもごと応援する
おかん。

人が信じられなくなった淋しいとき
自分にはどんなときも、どんな自分も信じてくれる人がいる。

これかなって思いました。

また人を信じてみようとチャレンジするときって。



子どもにはできるのに
自分を信じてあげれない私・・・。
とほほほほ~・・・。。。

だから?
もしかして
やっぱり
だんな様にもできていない私・・・。






  


Posted by 花梨 at 02:39Comments(0)