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夜長。
2010年12月24日
秋や冬は、寒くて暗いイメージで嫌いだったけど
暗くなるから早く済ませよう、とか
早く帰ろう、と意識して動くから
帰宅後、家で過ごす時間が長くなって
得をすることが分かった。
買ってきた干し柿が
本当に美味しい。
祖母譲りの干し物好き。
遺伝は次男にも。
ほろほろと暖かいストーブの前で
ゆっくりできて幸せだな~。
暗くなるから早く済ませよう、とか
早く帰ろう、と意識して動くから
帰宅後、家で過ごす時間が長くなって
得をすることが分かった。
買ってきた干し柿が
本当に美味しい。
祖母譲りの干し物好き。
遺伝は次男にも。
ほろほろと暖かいストーブの前で
ゆっくりできて幸せだな~。
今思うと、中毒だった。
2010年12月24日
以前まで珈琲をしこたま飲んでいた。
インスタントだけで1日5杯、以上。
常にタンブラーは持ち歩き。
将来、喫茶店がしたいと本気で思っていた。
それが何故かピタッと飲めなくなってしまった。
飲もうと思わないし
ふいに出されて飲んだら気分が悪くなっていた。
これじゃ、喫茶店はムリだ。
たとえまた飲み始めても
飲めなくなるかもしれないから
波があって困るだろう、と思った。
「私の夢」ボードに書いたばかりの4月だった。
今月に入って、匂いにつられて
ふと飲んでみたくなって
忘れた頃に飲んでいる。
また飲めるようになった。
別の理由かもしれないけど
今は、胃が痛い。
大した頻度でもないのに…。
振り返ってみると
以前までは中毒だった。
美味しいから飲むのだけど
飲まないと落ちつかない、
飲まずにはいられなかった。
自分には中毒はないと思っていた。
小さい頃から両親が喫茶店によく
連れて行ってくれていた環境もあったし、
珈琲を飲む大人なスタイルに憧れもあったし、
喫茶店をきりもりする女性になりたかった。
それぞれが自営する両親のもとで育って
両親に憧れがあった。
カッコよかった。
趣味が仕事になれば、それが一番いいと
思っていた。それは今でもそうかもしれない。
現実は、必然から興味がわいて仕事になって
仕事自体が趣味になっている…と言い切れる。
今となってはリハは私にとって
体の一部になっている。
認めてよそ見はやめよう。
ゆとりと、逃げや憧れは違うのだし。
今は組織の中に
十分なやりがいも感じているのだし。
自分しかできないこともあると気づいてきているのだし。
単純に人と違うことがしたい。
人と違う道を行きたい。
逸脱する勇気のなさの反面、組織内での存在の仕方に自信にもついてきている。
逸脱することが自分の望みかどうかを見つめなおす隙間もないことが
辛さではあるけれど
逸脱するためのトレーニングでもあるような気もする。
要は、将来は何が起こるか分からない。
勝手な予測は「ゆるがない願望」ならいいのだけれど
自分が向いているかどうかや、憧れから脱しないのなら
単なる夢物語。止めたほうがいい。
と思えてきた。
占いで「そうなるでしょう。だから大丈夫。」的な安心を得たり
確実な人を追い求めて「先」という結末だけを聞いて
足元を見ようとしなかったり、自分自身を見ようとせず
人に見せようともせず、先走ったり。
そのくせ変わろうと意気込んだり。
環境のせいにしたり。
正論ぽい、言い訳をしたり。
全ては同じパターン。
これが私。
これも私。
こうやって、後で気づくこともあるんだと。
やりながら、分かることもあるんだと。
さも、最初からなんでも分かって、知ってて歩いているスタイルは
もういらない。
このエネルギーを
全部自分に向けられたら
いいだろうなと、これを「ゆるがない願望」になれるよう
今は少し、エネルギーをチャージしたい。
私にとって自分探しは
自分の本音探し。
インスタントだけで1日5杯、以上。
常にタンブラーは持ち歩き。
将来、喫茶店がしたいと本気で思っていた。
それが何故かピタッと飲めなくなってしまった。
飲もうと思わないし
ふいに出されて飲んだら気分が悪くなっていた。
これじゃ、喫茶店はムリだ。
たとえまた飲み始めても
飲めなくなるかもしれないから
波があって困るだろう、と思った。
「私の夢」ボードに書いたばかりの4月だった。
今月に入って、匂いにつられて
ふと飲んでみたくなって
忘れた頃に飲んでいる。
また飲めるようになった。
別の理由かもしれないけど
今は、胃が痛い。
大した頻度でもないのに…。
振り返ってみると
以前までは中毒だった。
美味しいから飲むのだけど
飲まないと落ちつかない、
飲まずにはいられなかった。
自分には中毒はないと思っていた。
小さい頃から両親が喫茶店によく
連れて行ってくれていた環境もあったし、
珈琲を飲む大人なスタイルに憧れもあったし、
喫茶店をきりもりする女性になりたかった。
それぞれが自営する両親のもとで育って
両親に憧れがあった。
カッコよかった。
趣味が仕事になれば、それが一番いいと
思っていた。それは今でもそうかもしれない。
現実は、必然から興味がわいて仕事になって
仕事自体が趣味になっている…と言い切れる。
今となってはリハは私にとって
体の一部になっている。
認めてよそ見はやめよう。
ゆとりと、逃げや憧れは違うのだし。
今は組織の中に
十分なやりがいも感じているのだし。
自分しかできないこともあると気づいてきているのだし。
単純に人と違うことがしたい。
人と違う道を行きたい。
逸脱する勇気のなさの反面、組織内での存在の仕方に自信にもついてきている。
逸脱することが自分の望みかどうかを見つめなおす隙間もないことが
辛さではあるけれど
逸脱するためのトレーニングでもあるような気もする。
要は、将来は何が起こるか分からない。
勝手な予測は「ゆるがない願望」ならいいのだけれど
自分が向いているかどうかや、憧れから脱しないのなら
単なる夢物語。止めたほうがいい。
と思えてきた。
占いで「そうなるでしょう。だから大丈夫。」的な安心を得たり
確実な人を追い求めて「先」という結末だけを聞いて
足元を見ようとしなかったり、自分自身を見ようとせず
人に見せようともせず、先走ったり。
そのくせ変わろうと意気込んだり。
環境のせいにしたり。
正論ぽい、言い訳をしたり。
全ては同じパターン。
これが私。
これも私。
こうやって、後で気づくこともあるんだと。
やりながら、分かることもあるんだと。
さも、最初からなんでも分かって、知ってて歩いているスタイルは
もういらない。
このエネルギーを
全部自分に向けられたら
いいだろうなと、これを「ゆるがない願望」になれるよう
今は少し、エネルギーをチャージしたい。
私にとって自分探しは
自分の本音探し。
迷う私。
2010年12月23日
迷う時と、迷うモノのパターンがあるのか?
私は極端な気がする。
今日、迷った。
本当はもっとぐずぐず、迷ってみたかった気もする。
ナッセの懸賞に当たったので
ハガキを持って引き換えに行った。
シャワー通りのパワーストーンのお店で
2つの同じ石を出されて「どちらか選んでください」って場面で。
大きさも模様?も微妙に違ってた。
初めから少し大きい方に目が行っていたのに
結果、選んだのは小さい方。
確かに持った感じは小さい方がシックリきた、ような気がする。
けど、本音は違ったかも。
大きい方を選んで{ガッツイテソウ}と思われそうに思ったのか。な。
もっと時間かけて良かったのに
なんだか、時間かけちゃ悪いような、
{タダ}なのに、じっくり見定める自分がイヤラシイような。
今考えても、あのせかせかした気持ちが不思議でならない。
でも私にはよくある現象。
大したことない、ことには時間かけちゃいけない感。
わざわざ、はしない、行かない習慣。
でも本当に大したことないのかどうかは疑問。
保育園の頃、週に1回パンの日があった。
大きなトレーにたくさんの菓子パンが入ってて
みんなでわぁ~~っと取りに行く。
けど、私はいつも行けなくて
最後の方に、残ったのを取っていた。
だから、好きじゃない、甘すぎるジャムパンが手元にきてた。
残すと怒られるから、死にもの狂いで食べなきゃいけなかった。
本当はメロンパンが良かった。
小学生の頃、クラブ活動の終わりに顧問の先生から
カップに入った、かき氷の差し入れがあった。
またもやさっさと取りに行けなくて
最後に行ったら、騒ぎでフタの開いたかき氷が残ってた。
思い出した。
気は強いけど、自己主張ができない。
いや、主張しなければならないところでしない。
目立ちたくない。
そんな私を、その顧問の先生は見破っていたのか。
ある日、私をみんなの前に出して
先生の名前を大きな声で何度も呼ばせた。
エースをねらえ!のコーチのようなカッコいい先生だった。
帰りの車の中、大きい方の石を選ばなかった事を
後悔していた。
今は「ご縁」だと思えている。
重くとらえていなかった石で
こんなに考えるとは。。。
捨てる感情を紐解くトレーニング、かな。
それにしても
たった2回だけれど、ナッセの懸賞は100%あたってる。
おもしろい。
調子に乗ってまた送ってみよう。。。
私は極端な気がする。
今日、迷った。
本当はもっとぐずぐず、迷ってみたかった気もする。
ナッセの懸賞に当たったので
ハガキを持って引き換えに行った。
シャワー通りのパワーストーンのお店で
2つの同じ石を出されて「どちらか選んでください」って場面で。
大きさも模様?も微妙に違ってた。
初めから少し大きい方に目が行っていたのに
結果、選んだのは小さい方。
確かに持った感じは小さい方がシックリきた、ような気がする。
けど、本音は違ったかも。
大きい方を選んで{ガッツイテソウ}と思われそうに思ったのか。な。
もっと時間かけて良かったのに
なんだか、時間かけちゃ悪いような、
{タダ}なのに、じっくり見定める自分がイヤラシイような。
今考えても、あのせかせかした気持ちが不思議でならない。
でも私にはよくある現象。
大したことない、ことには時間かけちゃいけない感。
わざわざ、はしない、行かない習慣。
でも本当に大したことないのかどうかは疑問。
保育園の頃、週に1回パンの日があった。
大きなトレーにたくさんの菓子パンが入ってて
みんなでわぁ~~っと取りに行く。
けど、私はいつも行けなくて
最後の方に、残ったのを取っていた。
だから、好きじゃない、甘すぎるジャムパンが手元にきてた。
残すと怒られるから、死にもの狂いで食べなきゃいけなかった。
本当はメロンパンが良かった。
小学生の頃、クラブ活動の終わりに顧問の先生から
カップに入った、かき氷の差し入れがあった。
またもやさっさと取りに行けなくて
最後に行ったら、騒ぎでフタの開いたかき氷が残ってた。
思い出した。
気は強いけど、自己主張ができない。
いや、主張しなければならないところでしない。
目立ちたくない。
そんな私を、その顧問の先生は見破っていたのか。
ある日、私をみんなの前に出して
先生の名前を大きな声で何度も呼ばせた。
エースをねらえ!のコーチのようなカッコいい先生だった。
帰りの車の中、大きい方の石を選ばなかった事を
後悔していた。
今は「ご縁」だと思えている。
重くとらえていなかった石で
こんなに考えるとは。。。
捨てる感情を紐解くトレーニング、かな。
それにしても
たった2回だけれど、ナッセの懸賞は100%あたってる。
おもしろい。
調子に乗ってまた送ってみよう。。。