それも受け入れる。

花梨

2010年10月18日 00:52

自分を、意識して受け入れ始めた。

でもまだまだ、知らなかった自分が出てきて

というか。

意識下に出てきて、見つけると凹む。

本当はこれまでも出会ってきただろうに

無視してきたんだと気づく。

辛いからかもしれないし

面倒なのかもしれない。

いずれにしても

嫌なのは間違いない。

でも、

定期的にドドーンと溢れてきて

情けない現状を思い出しては落ち込む。

一日中、体が動かないこともある。

眠ってもいないし起きてもいない。



私は怒鳴り声がとても嫌い。

胸が苦しくなる。いたたまれなくなる。

そのくせ、子どもが小さい頃

よく大声を出していた。。。

そうすれば何かが解決するとでも思っていたのか・・・?

確かにその場は収まった。し、

親としての力が誇示できたような

満足感もあったのかもしれない。

怒鳴る方は、その時は少なからず

すっきり感があるような気がする。

自分の意見を言うのだから。

それも大声で。宣言ともとれる。

言われた方はさらに大声で言い返すか

飲み込むしかない。

怒鳴る方も追い込まれているのは

間違いないのだ、けれど。

それを、最後は感情のままに

主人や子ども達にぶつけていた私を

嫌な画像で思い出す。

その方法しかなかった自分が、嫌だ。

さらに手も出ていた。

最低。。。



今は誰も怒鳴らないでいいように

原因を排除しようと先回りしている自分に気づく。

良いか悪いかは別として

そうしている。

怒鳴るだけではなくて

揉め事が起こらないようにするので

揉めそうな人の間では

私は会話を本人同士には任せきれない。

すぐ口をはさんでしまう。

空気が悪くなる前に

少しでもそういう気配を感じたら

ヘラヘラと笑って必死で間に立っている。

どの場面でも。。。

なんだか、泣けてくる。



去年、長男にズバリ言われた。

長男が次男に注意?をしているときに

喧嘩にならないよう、ならないよう

口をはさんでいた。

「お母さんは黙っといて!そうやっていっつも

いっつもかばうから、弟は何にも自分で言わんで

何もできんようになるったい!」

かばっているつもりはなかった。けど

客観的にはそうだった。



それでも自分を可愛そうだと思うのは止めよう。

これも自分で勝手にしていること。

私が揉めて欲しくないから、そうしているっていう

エゴに他ならないのだから。

それに、自分で引き寄せている可能性も高い。



そして私がイケイケで勢いがよくて

自分の意見を誇示していたとき

今の私のように

間に入ったり、飲み込んだりしてくれていた人が

いたことに今更ながらに気づく。



それでも、その上で思うのは。。。

認めて受け入れることと、諦めることの違い。

麻痺することの違い。

コレが私には難しい。

意識下にきたからこそ、なのか

難しい。




麻痺はない方が良い。

麻痺は「動かないということ」「感覚がないということ」

「思うようにならないこと」ということ・・・。

でも麻痺した方が良いこともあるんだろうなと

最近思うことがある。

一緒に暮らしていくには

麻痺しないと気になって気になって生きていきにくい。



こんなことをグルグル考えるのは

認めて受け入れているわけでもなければ

諦めているのでもなく

麻痺しているわけでもなくて

「直して欲しい」と思っているのに他ならない・・・

という自分のエゴに気づき

今日はここまでを受け入れよう。かな。



DREAMママが

「花梨さん、入院したらとにかく考えますよ~。

何でもかんでも、とにかく考えるみたいですよ~。・・・・」って

昨日言ってくれたのを思い出した。

入院前からもう、その通り始まってるのかも。

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