今が、苦しみ。

花梨

2010年08月27日 20:13

自分の気持ちがどこまで本物か。

どこまで深いか。

強いか。



試されているとき。

本当のところは自分にも分からない、ことに気づいた。

認めた。



これまでは予測をたてたり

こんな自分でありたい、と願って

「本物の気持ちだ」と

その決心を目標にしたりしていた。

本物かどうか、を自分と向き合って

答えを出す前に

「そうよそうよ、この目標でいいのよ」と

自分に安請け合いしていた。

だから達成できないでいた。

過程に満足もなかった。

結果から、目を背けた。



次々にやってくる出来事や自分の変化に

ついていけてない今、

予測も理想もへったくれもない。

余裕が全くない。

メッセージを感じ取れそうでとれない。

別の自分のジャッジがはいる。



人の期待もない。

だから、こうあるべき。。。がない。

そう背負ってみても、大してできない自分も知ったから

人の判断基準に合わせる気持ちがなくなった。

そうして無鉄砲になる自分が未知で

それが怖かった。いや今でも怖い。



できる範囲で考えて

できる範囲で動いて

結果に不満足なパターンをもつ。


冒険ができなくなっていた。


いつから?


分かってる。。。自分の人生を100%これで良し!!コレがベスト!!!

と言い切るための「許可」と「承認」を私自身がしなければ

この先、冒険はきっといつまでたってもできない。



私は冒険したいし、自分の殻を出て行きたい。



父が他界しているのは「自分で考えろ」ということ。

母が倒れたのは「岐路よ、まわりを見なさい」と教えてくれているということ。

サマンサやランの姿は「生きるということ」を逃げずに見るための宝。

実父が生きていてくれたのは「本当の優しさ」を感じるためのきっかけ。



そして

主人に起こる変化は「もっと強く共に歩め」と腹をくくる時期の象徴か。。。




人の目は二の次になった。


だから、自分と向き合うしかない。

避けていた自分に

こんな余裕のない自分は初めてで

おもしろいくて楽しみで、やっぱり

トータルで考えると、不安。



でも、逃げない。

逃げないで

もっと苦しんでみようと思う。



ここで逃げたら、何も変わらない。



たくさん、起こっているけれど

悲壮感はなくて挑んでいる。自分。



こんな自分は、私らしいとすら思えてくるから

・・・男らしいと、実感してしまう(苦笑;)

関連記事