今が、苦しみ。
自分の気持ちがどこまで本物か。
どこまで深いか。
強いか。
試されているとき。
本当のところは自分にも分からない、ことに気づいた。
認めた。
これまでは予測をたてたり
こんな自分でありたい、と願って
「本物の気持ちだ」と
その決心を目標にしたりしていた。
本物かどうか、を自分と向き合って
答えを出す前に
「そうよそうよ、この目標でいいのよ」と
自分に安請け合いしていた。
だから達成できないでいた。
過程に満足もなかった。
結果から、目を背けた。
次々にやってくる出来事や自分の変化に
ついていけてない今、
予測も理想もへったくれもない。
余裕が全くない。
メッセージを感じ取れそうでとれない。
別の自分のジャッジがはいる。
人の期待もない。
だから、こうあるべき。。。がない。
そう背負ってみても、大してできない自分も知ったから
人の判断基準に合わせる気持ちがなくなった。
そうして無鉄砲になる自分が未知で
それが怖かった。いや今でも怖い。
できる範囲で考えて
できる範囲で動いて
結果に不満足なパターンをもつ。
冒険ができなくなっていた。
いつから?
分かってる。。。自分の人生を100%これで良し!!コレがベスト!!!
と言い切るための「許可」と「承認」を私自身がしなければ
この先、冒険はきっといつまでたってもできない。
私は冒険したいし、自分の殻を出て行きたい。
父が他界しているのは「自分で考えろ」ということ。
母が倒れたのは「岐路よ、まわりを見なさい」と教えてくれているということ。
サマンサやランの姿は「生きるということ」を逃げずに見るための宝。
実父が生きていてくれたのは「本当の優しさ」を感じるためのきっかけ。
そして
主人に起こる変化は「もっと強く共に歩め」と腹をくくる時期の象徴か。。。
人の目は二の次になった。
だから、自分と向き合うしかない。
避けていた自分に
こんな余裕のない自分は初めてで
おもしろいくて楽しみで、やっぱり
トータルで考えると、不安。
でも、逃げない。
逃げないで
もっと苦しんでみようと思う。
ここで逃げたら、何も変わらない。
たくさん、起こっているけれど
悲壮感はなくて挑んでいる。自分。
こんな自分は、私らしいとすら思えてくるから
・・・男らしいと、実感してしまう(苦笑;)
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